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九州の地誌その3

潮の満ち引きの理由を説明してください。

えっ?理科じゃなくて地理の授業ではなかったの?失礼しました。

大学の学部によっては、「地理」を「理科」の選択科目として選べるところがあります。それだけに、「地理」を学ぶということは、理科的な視点が必要とされるわけですね。

では、理科的な視点とは何か?となりますが、ここでは自然環境の成り立ちから、人々の生活は大きな影響を受けている、と考えておきましょう。もっと深く追求したくなったら、大学で地理学をしっかりと学びましょう。

 

おっと、最初の問いを忘れてました。

潮の満ち引き、これは月の引力で海水が引っ張られているということです。だから、満月や新月になると、月が地球から見て真正面に来ているので、引っ張る力も最大になるというわけです。

こういう時は、満潮の時にいつもより水位が上がりますし、干潮の時には、いつもよりずっと水位が下がるというわけです。

「潮干狩り」というのをしたことがありますか?それは、まさに潮の満ち引きを利用したものです。

あるいは、磯の生物を探したことはありませんか?いつもは海の中なのだけれど、潮が引くとゴツゴツの岩が顔を出すということろです。岩の凹んだところには、海水が残っていて、タイドプールと言ったりしますが、ここにいる生き物をチェックするわけですね。

私は神奈川県の江ノ島で、ウメボシイソギンチャクをさわったことがありますが、何とも言えないムニュムニュ感がたまりませんね!

 

いつまでも九州の地誌に進まなくてすいません!

で、こうの潮の満ち引きが、普段からものすごく大きな海が九州にあるのです。さて、なんという海ですか?

 

答え、有明海

では、有明海に面している県をすべて挙げてください。

はい、熊本県佐賀県、以上

ブー!

よく見てくださいよ。長崎県が包み込んでいますし、福岡県もありますよ!ここを見落としますので要注意です。地図を見ると、湾の奥の方が有明海と表記されていて、熊本市の近くは島原湾となっているでしょう。これは、お役所的には両方合わせて「有明海」ということもありますので、あまりこだわらなくてよろしいでしょう。大切なのは、潮の満ち引きが大きいことです。内湾の奥に干潟などの水深の浅い地域があると、干満の差が大きくなるのです。

大きいとどんなことが起こるのか?

有明海に流れ込んでいる河川の代表は筑後川ですね。そのほか多くの川が有明海に注ぎます。でも、ここは湾の一番奥ですから、波が静かです。海流もあまりありません。ということは、川が上流から運んできた土砂が海に達したところで、海底にどんどんたまっているわけです。これが、太平洋や日本海に直接面しているところでは、波や沿岸流に持って行かれてしますのですが、有明海はどんどん海底が高くなっていくわけですね。この土砂は川で運ばれて栄養分をたっぷりと含んでいます。

潮が引くとこの土砂の部分が陸地になるわけです。でも満潮になると海の下に沈む、このような場所を「干潟」というのですね。ここを住処とする生きものは、ちょっと独特です。海でも陸でも生活できるわけですから。いや、どっちもないと生活できないと言った方がただしいかな。たとえばムツゴロウとか。そうした貴重な生物がいると同時に、彼らが海水を浄化してくれるのです。だから干潟をなくしてしまうと、海の汚染が一気に進むことになります。

干潟の先に築堤を作って、海水が入って来ないようにしたところを「干拓地」と言います。「埋め立て地」ではないので注意しましょう。

有明海は、栄養分がたっぷりで、ここで「のり」作りを行っています。佐賀県の生産量は日本一です。

有明海の一部分に諫早湾があります。ここには、締め切り堤防ができていて巨大な干拓地が造成されました。干潟がなくなったことで、有明海全体の生態系への影響があると報告されています。諫早湾だけの問題ではなくて、有明海全体を回る海流の流れが変化したのでしょう。自然環境は、そうした微妙なバランスの上に成り立っているのですね。

佐賀県が出ましたので、確認です。背振山脈(せぶり さんみゃく)を境に日本海側と有明海側では、気候が全く違います。背振山脈が北西の季節風のストッパーになっているからです。南側の佐賀と北側の伊万里(いまり)の冬の雨量は、1月でそれぞれ50ミリと70ミリです。20ミリの差となっています。雨量で20ミリということは、雪に換算したらかなりの差があると言えるでしょう。佐賀の50ミリ、平均気温5度というのは、東京とほぼ同じ気候になります。

この南側の気候を利用して栽培されるのが大麦です。大麦の種類の中でも、二条大麦で、これはお酒の原料などに使われます。ちなみにもう一つの六条大麦は押し麦にしてご飯に混ぜたりするものです。田んぼで稲を収穫した後の冬に裏作として栽培するものです。田んぼが一年中フル活用できるというわけです。

もちろん、北側の日本海に面したところ、唐津(からつ)や伊万里では大麦の栽培はほとんどありません。気候から考えれば当然ですね。

さあ、伊万里という地名が出てきましたので、地図上で確認しておきましょう。特に朝鮮半島の位置関係も大切です。というのも、九州の玄関口はどうしても福岡市になります。福岡市と釜山を結べば、確かに九州と朝鮮半島の最短ルートになります。

でも、古来から朝鮮半島との交流は佐賀県長崎県を経由していました。釜山から対馬壱岐と直線上に結んでくると、九州本土の上陸地点は長崎県の松浦や佐賀県伊万里になります。

東松浦半島の東側に「唐津」、西側に「伊万里」です。半島の先端には名護屋城跡があります。豊臣秀吉朝鮮出兵の時に築かれたものです。松浦は「魏志倭人伝」の中でも末盧(まつら?)として登場します。その次に出てくる伊都国は佐賀県吉野ヶ里を中心とした国ではなかったのか?とも考えられています。

豊臣秀吉朝鮮出兵をした時に、多くの陶工たちをつれて帰ってきて、それが現在の九州の焼き物の基盤になった、と言われています。確かに伊万里焼、有田焼、唐津焼などは有名です。有田焼が長崎を経由してヨーロッパに輸出された時に、「この焼き物はどこの焼き物だ?」というヨーロッパ人からの問いに、積み荷が載ったのが伊万里だったので、いつのまにか伊万里焼という名前の方が、メジャーになりましたが、元々は有田焼だったそうです。なお、これは私が耳で聞きかじった話で真偽のほどはわかりませんが、焼き物の裏側に「有田焼」と赤い四角のハンコのような印があると、それは有田焼ではないらしいのです。本当の有田焼は、そんな刻印をしないと言っていました。さて、真偽のほどはいかに?

他にも県境を越えた長崎県にも、波佐見焼三川内焼があります。九州南部の薩摩焼も、朝鮮半島の陶工によるものだと言われています。

朝鮮半島から伝来した窯が「登り窯」です。斜面を利用した大型の窯です。長崎から県境を接する佐賀県で、焼き物がさかんなのは、地形的に平野よりも山地や丘陵が多い、この地域特有の地形が、この登り窯の建設に好都合だったということになるでしょう。ここでま、地形が産業のヒントになっています。

 

(統計年度はすべて2011)

 

ここで一句

 

ムツゴロウ 浮くも沈むも 潮のため

 

ではでは